5月9日
SNSめんどくさい
と思います。いろいろ情報があるのが嫌。網羅癖*1がある身としては、重複する情報があればあるほどデメリットでしかなく、「これが全て!これだけ読めばいい!」と言われないとなんとなく安心できないですね。あとは「体系」というものに異様な執着があるので、情報が断片的だったりバラバラになっていたりすると逆に「もうなんでもいいや」と思って諦めてしまいます。
あとはサークルもありすぎてどうすればいいかわかんないし、ネットだとなんとなくうまく話ができないような気がして、「そういうのはあとでいいかな」となってしまいますね。探り合いが全然できないタイムラグのあるコミュニケーションが上手くいく自信が全くないので。要は面倒くさがってるだけですが。
逆にだから履修を組んだりするのは意外とモチベーション高かったりします。
なんか積んでる気が。
夢
バレーボールをする夢。中学校の体育館でバレーボール大会をするんですが、チームが弱すぎてボロボロに負け、めちゃくちゃ険悪な雰囲気になってました。その時はチームメイトが失敗したのか僕が失敗したのか定かではありませんが、とにかく異様に雰囲気が悪かったですね。でも体育の授業でムキになってるあの小中学生の感じはちょっと懐かしいと思いました。
今日一番嬉しかったのは髪を切ったことです。研修前日に染める勇気はありませんでしたが。
*1:全てを網羅しないと気が済まない癖。ファミレスのメニューや取説はなるべく全て目を通して全貌を把握し、最適解を発見したい。
5月8日
一日中家にいると
くだらないことばかり考えていて、書くことが思いついたり、やっぱりやめようと思ったりしてまとまらないので、お絵かきを見てもらうことにします。二時間考えてこの結果は自分でもさすがに悔しいです。
夢
マジで忘れた。
なんも思いつかない。
5月7日
ネット
の耐性がなくなっている気がして。特に発信することに対して自分の中の心理的なハードルがかなり上がっている気がしますね。まあブログは書いていますが、これはハードルを越えた結果であるにせよ、やっぱりそこを超えるのが今までより難しいなと思います。あとは根本的にSNSとかに対して今まで感じなかった「疲れ」を感じるようになりましたね。
でも多分こういうのは全部受験が悪いと思っていて。半年間を完全に勉強に費やして、他のことをする能力を奪われた状態で世の中に出されるので、結局何をしていいのかわからず何もしない、というか。こんな時勢なので「何もできない、することがない」と言ってはいますが、では本当に例年通りの春休みだったら何か有効に使っていたかというとそうでもない気がしますね。逆に「コロナの隠蓑」というか。現実を見ずに済んだというか。
夢
第一部
脈絡がなさすぎてちょっと説明できるかはわかんないです。祖母の家にいる設定になってはいるものの、実際は来たこともないところにいます。誰かが死んでしまって、仏壇の前に大きな絵(書き割りのようなもの)を貼ることになりました。カモフラージュのためかなんなのか、廊下の絵を書きました。廊下の先に仏壇があって、その前に老爺の亡骸がこちら側を向いて座っている絵。我ながらうまく描けているなと思って目を離した瞬間、再び見ると亡骸の向きが逆になってるんですね。つまり仏壇の方を向いて座っているようになっている(あとは書いたまんまで)。なぜかというと、やっぱりその亡骸が仏壇を拝んでいるようにさせるため、(会ったこともない)祖母がやったということになっているんですね。この時点で書き割りだった背景は現実にすり替わっています。途端に両親が現れて、祭りが始まるからと言うのです。どうやら僕はそこで習っている歌舞伎を披露することになっていたらしく。顔を白塗りにしているところで目が覚めました。
面白い夢だと思います。和風で。
5月5日
思い出
は生きてると否応なく蓄積されていくわけですが、その時思い出は場所と必ずセットで記憶されると思うんですね。
だから「この場所ではこんないいことがあった」とか「あの場所ではあんな悪いことがあった」みたいに記憶されるわけです。しかし次第にその場所の思い出のプラスマイナスに紐付けて、自分の中でその場所の評価が行われるようになると思うんですね。「こんないいことがあったプラスの場所」とか「あんな悪いことがあったマイナスの場所」みたいに。したがって「悪いことがあった嫌な場所」という風に評価されることもあると思います。
しかし一方で記憶の中では、いい思い出よりも悪い思い出の方が絶対に鮮烈でよりはっきりと残りやすいと思うんですね。だから年齢を重ねるとともに「好きな場所」よりも「嫌いな場所」の方が世の中に相対的に増えていく。嫌なことがあった旅行の方が記憶には長く残っているものです。
ただし場合によっては逆転があることもあります。すなわち「いい思い出の場所=好きな場所」だったところが「悪い思い出の場所=嫌いな場所」になってしまうということです。個人的にはこれが一番辛いと思います。
その転換っておそらく2パターンあって
- 思い出が上書きされたパターン
- 関係する事実が変わってしまったパターン
だと思います。
1番目は単純にその場所にまつわる記憶が多いだけなので、さらにいい思い出で上書きすることはできます。例えば「去年この体育館で試合をした時は勝ったから好きだったけど、今年は負けたので嫌いになった」みたいなパターンは来年勝つことで上書きし、好きな場所に戻すことができます。
ただ問題なのは2番目で、その場所にまつわる思い出の事実が変わってしまった場合、過去のことなのでどうしようもないんですよね。例えば「昔親友と旅行した鎌倉は大切な場所だったが、最近その親友と喧嘩したので鎌倉なんか行きたくもない」みたいな場合です。こんなのどうしようもないじゃないですか。たとえ他の友達とのちに鎌倉を訪れたとしても、それはすり替えであって、絶対に上書きはできないんですよね。
この2番目のようなものが場所界の「地雷」に当たるのでしょうが、おそらくこういうのって人それぞれある程度はあるんだろうなと思います。あればあるほど生きていて大変なので、なるべくいい思い出だけがあるうちに記憶の更新をストップする、というのも手だと思いますね。
オチ:「思い出の話ばかりする奴は重いで〜」
どうもありがとうございました。
夢
第一部
誰かが死ぬ夢。5人でてきたうちの2番目と3番目のロシア人とアメリカ人が死んでしまった、みたいな夢でした。
余談です。この前テレビ見てたらめっちゃいいCMが流れてきたのでどこのCMだろうと思ったら最後に「聖教新聞」って出て「世の中ってクソだな」と思いました。
5月4日
キャプテン・ファルコン(スマブラ)
に憧れませんか?
一発がめちゃめちゃ重い。タメが長いとか復帰ができないとか、そういう不器用な部分も含めて一発に全力を尽くすキャプテン・ファルコンのような生き方をしたいと思うようになりました。最近。
僕は子供の頃からポケモンではポッチャマを選ぶ、そういう人間でした。最初に買ったDSのカセットはシムシティで、難しすぎて一瞬で積んでからなるべく触らないようにしていましたが、この年になって久しぶりにやってもうまくいきませんでした。友達の家で小学校を卒業した春休みに必死になってやっていたWiiのカービィではひたすらメタナイトを使い、次のポケモンで選んだのもワニノコでした。スマホを持つようになってもモンスト、パズドラには手を出さず、訳のわからない走りながらゾンビを撃つゲームとかフライトシミュレーターばかりをひたすらやっていました。
結局こうして見てくればかりに気を取られ、他人と違うことをすることこそが至上の美徳と信じて疑わなかった僕は、ろくな人間になっていないと思います。
でも多分キャプテン・ファルコンは違う。一日に何十ツイートもするより、一日一回のブログが書ければいい。そういう人間に私はなりたい。
F-zeroとかはやったことないんであんまり勝手なこと言うと文句言われそうですが。
夢
第一部
体育館の高いところに座っている夢。
自分ともう1人女の子が隣に座っていました。相当高さがあって結構狭いし怖いです。ステージの上では書道パフォーマンスをしていて、他の人たちは普通に床に座ってそれを見ています。書道の人たちが大きな紙に大きな筆で文字を書いていくんですが、全部それが僕の名前で、笑いながら「いや、絶対いじってるでしょ」みたいなことを言ったら隣の女の子は怖いぐらい笑い出しました。床に座って見ている人たちも笑ってこっちを見たので、僕が変な顔をして見せると夢が覚めました。
すっきりしない夢ですね。コンセプトがわからない。
5月3日
お寿司と焼肉
は一般的な日本人の感覚だと「ちょっといいご飯」とか「嬉しいことがあった時のご飯」じゃないですか。でもなんででしょうね。単純に考えて、「肉焼いただけ」、「酢飯に生魚載せただけ」がどうして数ある料理を抑えてトップ層にランクインするんでしょうか。
だって世の中珍しい食材とか手間暇かかる作り方とかごまんとあるわけで。例えば三大珍味と呼ばれるものがあって、まあ当然値段は張るんですが、でもだからといって「いいことあったからキャビア食べようか」とはならないじゃないですか。価格=人気ではないんですよね。それに手間で言ったら焼肉なんかほぼセルフですし。「焼肉行くと忙しくて食べた気がしない」という人がいますけど、その指摘は強ち間違いじゃないと思いますね。だから手間=不人気というわけでもない。
おそらく希少性とか所要時間に人気が比例しないのは、料理に求められているのはそれだけじゃないということなんでしょうか。
まあ仮にお寿司に日本食の伝統という文化的なアイデンティティを感じるとするのならば(お節的な)、百歩譲ってわかる気がします。けれど、日本食の中で見てもお寿司が上位ってのはなんか違う気がしますけどね。「お寿司は昔のファーストフードだった!」みたいな話はよく聞きますし。だったらもっと豪華な日本食がクローズアップされるべきだろうと思いますね(とは言ったものの「豪華な日本食」って何かわかんないですが。元々日本食自体単品だと豪華って感じはしないものなのかもしれません)。しかも根本焼肉の方は日本食じゃないし。
結局なんだかんだで種類というか「選択出来る」という価値なのかもしれないですが。なんか一つひとつが弱くてもそこに選択権があるだけで豪華な感じはしますし、面白いってのはありますよね。だからバイキングとかビュッフェは豪華の代名詞みたいなところがあるじゃないですか。多分上で言った日本食もその理論でいくとやはり集合としての価値の部分もあるんだと思います。
というわけで「選択肢があるから」という結論にたどり着きました。さて、ここからの話の展開はないんですが、
ということを考えていたら一日終わりました。
だからどうって話ではないんですけどね。
まあどうでもいい話ですが。
オチはありません。
という「オチ四天王」みたいなのには絶対に頼りたくありません。なぜなら自分自身こういうオチに逃げがちだからです。そういう自分を律するという意味でも、今回はオチという作業から逃げずにしっかり向き合いたいと思います。
では、
「『みんな大好きな食べ物』とかけて『熱湯風呂』とときます。その心は『どちらもおすしかない』」
どうもありがとうございました。
夢
第一部
なんか僕のせいで先生が転勤しちゃう、みたいな夢でした。石垣?みたいなのが出てきました。メモを怠ったので記憶の精度に欠けますね。
一晩休んでこれ。メモぐらいはちゃんとします。
5月1日
最近の悩み
はLINEが重すぎてめちゃくちゃ誤字が出てしまうことです。
多分スマホの容量が小さすぎるんだと思いますね。新しいiPhoneSEが出たのにまだ古いの使ってるぐらいなので。時代の一番後ろっていう感じがして早くケータイ変えたいんですが、依然としてめんどくさいとお金がないが勝っている状況が続いています。
はっきり言って今日は手抜きです。やる気がないので。
夢
第一部
メモがあることにはあるのですが
作った 納品書
神木を切る
先生と○と○ ←女性
というなんのヒントにもならないようなことしか書いていません。あらすじさえ覚えていないし。
この前のメモはまだ読めるぐらいの字だったので写真を載せてお茶を濁すことができましたが、今回は汚すぎて解読が難しいので、いくらスペース稼ぎとはいえ流石に載せられません。というわけで今回はこんな感じです。
波がありますね。睡眠の質は下がる一方ですし。