5月3日
お寿司と焼肉
は一般的な日本人の感覚だと「ちょっといいご飯」とか「嬉しいことがあった時のご飯」じゃないですか。でもなんででしょうね。単純に考えて、「肉焼いただけ」、「酢飯に生魚載せただけ」がどうして数ある料理を抑えてトップ層にランクインするんでしょうか。
だって世の中珍しい食材とか手間暇かかる作り方とかごまんとあるわけで。例えば三大珍味と呼ばれるものがあって、まあ当然値段は張るんですが、でもだからといって「いいことあったからキャビア食べようか」とはならないじゃないですか。価格=人気ではないんですよね。それに手間で言ったら焼肉なんかほぼセルフですし。「焼肉行くと忙しくて食べた気がしない」という人がいますけど、その指摘は強ち間違いじゃないと思いますね。だから手間=不人気というわけでもない。
おそらく希少性とか所要時間に人気が比例しないのは、料理に求められているのはそれだけじゃないということなんでしょうか。
まあ仮にお寿司に日本食の伝統という文化的なアイデンティティを感じるとするのならば(お節的な)、百歩譲ってわかる気がします。けれど、日本食の中で見てもお寿司が上位ってのはなんか違う気がしますけどね。「お寿司は昔のファーストフードだった!」みたいな話はよく聞きますし。だったらもっと豪華な日本食がクローズアップされるべきだろうと思いますね(とは言ったものの「豪華な日本食」って何かわかんないですが。元々日本食自体単品だと豪華って感じはしないものなのかもしれません)。しかも根本焼肉の方は日本食じゃないし。
結局なんだかんだで種類というか「選択出来る」という価値なのかもしれないですが。なんか一つひとつが弱くてもそこに選択権があるだけで豪華な感じはしますし、面白いってのはありますよね。だからバイキングとかビュッフェは豪華の代名詞みたいなところがあるじゃないですか。多分上で言った日本食もその理論でいくとやはり集合としての価値の部分もあるんだと思います。
というわけで「選択肢があるから」という結論にたどり着きました。さて、ここからの話の展開はないんですが、
ということを考えていたら一日終わりました。
だからどうって話ではないんですけどね。
まあどうでもいい話ですが。
オチはありません。
という「オチ四天王」みたいなのには絶対に頼りたくありません。なぜなら自分自身こういうオチに逃げがちだからです。そういう自分を律するという意味でも、今回はオチという作業から逃げずにしっかり向き合いたいと思います。
では、
「『みんな大好きな食べ物』とかけて『熱湯風呂』とときます。その心は『どちらもおすしかない』」
どうもありがとうございました。
夢
第一部
なんか僕のせいで先生が転勤しちゃう、みたいな夢でした。石垣?みたいなのが出てきました。メモを怠ったので記憶の精度に欠けますね。
一晩休んでこれ。メモぐらいはちゃんとします。